SOUNDCASE

東京の人口は現時点で既に1300万人を超えている。どの道を歩いてもすれ違う人が居るこの大都市で生まれ育った私は、最近気づいたことがある。いま、新宿で京王線から山手線に乗り換える途中に周りにいた人々とは、果たして私と同じ空間に存在していたのだろうか?それぞれの人が違う目的地を持って流動するように過ぎ去っていくあの道は、果たしてそこにいる人々を繋ぎ、それぞれが共に存在する意識を持つ場所と言えるのだろうか。

 

Michael Bull 著 ‘To Each Their Own Bubble’: Mobile Spaces of Sound in The City“ を読んで、この問いかけには私の耳にあるイヤホンから流れる音楽も関係していることを知った。Bull (2003) はサウンドバブルという概念を探求する。私たちはそれぞれの聴いている音楽によって、バブルを形成し、個人の空間をこの大都市の中で持っているのだ。彼の考えるサウンドバブルをここで私の日常に重ねて考察しよう。

 

外でイヤホンをつける理由はたくさんある。単に好きな音楽が聴きたいという理由もあるが、周りの音を遮断するためという理由もそこには隠されているだろう。カフェで作業をする時に聞こえてくる隣の人の会話であったり、走りさっていく車の轟音だったり。そのイヤホンを装着する瞬間、私の聴覚はその空間にいる他の人とは違うものに集中する。もっと正直に言えば、大通りのビラ配りを避けるためにも、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車の苦痛から逃れるためにもイヤホンを取り出す。そう考えてみると、イヤホンから流れる音楽は、私の聴覚を周囲から切り離すだけではないようだ。私の意識の半分ほどはその空間から違う場所へと移動している。私と私を囲む空間の間には半透明な膜ができるように思える。バブルの中にすっぽり収まっているのだ。

 

もっと考えると、何の音楽を聴いているのかによって私がどんなバブルの中にいるのかも変化する。例えば、音楽ストリーミングアプリの中にあった適当なプレイリストから流れてくる曲を聴いているとき。私はとにかく何かを聴いて気を紛らわそうとしているか、もしくは新しい音楽を探すのに没頭していて、外側からは透明に見えるけど、内側からは曇っているバブルの中にいる。他には、韓国のR&Bを聴いているとき。この時私は、東京にいながら多文化の言語、音色に耳を傾けている。また、私のルーツがある文化の曲を聴いている。このとき形成される私のバブルは、東京の中にあるソウルの飛び地と言えるかもしれない。

 

このように表現すると、イヤホンで音楽を聴くことが閉鎖的、且つ非社会的な行動のように思えてくる。しかし、この論文を読んでから、イヤホンをつけて街を行き交う人のバブルが見えるようになった私は、そのバブルの中ではどんな音楽が鳴り響いているのかいつも気になるようになった。今電車で私の隣に座っているサラリーマンはどうして音楽聴いているのか。今すれ違った高校生はどんな音楽を聴いているのか。そして、この小さなバブルがいくつも繋がって大勢を一緒に囲む大きなバブルになるとき、同じ音楽が同じ空間で共有される。私は、それが待ち遠しい。

 

 

 

 

参考文献

Bull, M. (2003). 'To Each Their Own Bubble': Mobile spaces of sound in the city. Mediaspace -    Place, Scale and Culture in a Media Age.